我が家の介護日誌 P-22
母が『うちゅう人』になった日
浅川太陽光発電所
所長 浅川 初男
母の介護をはじめて、早10年余り、今年、平成29年10月、ゆったり介護状態に激変が起きた。
母の夜の行動(主に夜中)の行動が、突如として激しくなり、夕方や早朝と徘徊行動が頻繁にあり、ご近所さん(親戚)に迷惑をかけることが多くなったのと視界が制限される時間帯に徘徊するので、危険が増し、交通事故の恐れもあり、母の行動制限をするためにドアに鍵をかける試みをしたところ、通常時には、問題ない時の母が激怒し、私との口論となり、神経的に参る日々があり、介護とは ? の葛藤の日々を送る羽目になり、精神的に追い込まれる場面になり、母の介護に協力していただいていたヘルパーさんや訪問看護士さんの助言や、ケァマネージャーさんの訪問により、精神的窮地に陥ることなく、なんとか平静な精神状態をたもちながら、母の介護につく事ができています。
10月に入り、母の奇行によりヘルパーさんを頼む機会が増えたのと、母も奇行で、疲れたのか、ベッドで横になる事が増えたのが、災いして、時間概念を失っているので、今まで以上に夜中の奇行が増えだした。
大変じゃ!!
ワンは手伝えないワン。
私は、前にも紹介したように、持病のため、夜中に1時間〜2時間おきに目を覚し、トイレに急行するので、その後母の様子を見るので、夜中であっても、おおよそ2時間おきくらいには母の行動を監視できているので、持病にはある意味感謝していますが、体力的には疲れてしまい、午前中は意識が曇っている状態で過ごす事が多く、午前10時から12時の間に1時間ほど自然に睡眠タイムを取る事が多いのですが、この時間帯にも母の奇行があり対策を取る必要にかられ、母の住む母屋に鍵をかける事を勧められ、最初は躊躇していましたが、体力的に耐えきれず鍵を選択しました。
効果は、てきめんで、母の朝夕の突然の外出行動は防ぐことができ、安心行動に繋がり、精神的に落ち着く事ができましたが、問題も発生。
母が、正常行動をしている時も、鍵がかかっているので、不審行動をとる事があり、対策として、母の住む母屋の防寒対策として、ビニールカーテン(テーブルクロスの透明ビニール)を各サッシ戸の所に設置し、今年はさらに、半透明のポリビニール板を置き、サッシの鍵に手が掛からないようにして、開錠を防ぐ対策をして、すべて防寒対策だとして、母の不信感を除くことにしました。
ある程度、母の不信感は取り除けましたが、母の正常行動時には、内側からの鍵は、意味をなさず、施錠を解除し庭先に出ている母の姿に驚き、母のところに駆け寄ると「鍵がなかなか、はずぜず、苦労した」「やっとの思いで外に出られた」
と言って、庭先の草いじりや、落ち葉拾いを積極的にしている姿が ?
⌘ まるで、狐に化かされている ? わたし。?
先ほどの食事の時には、入れ歯の入れ方や、上下、左右が分からないと言っていた母が庭先に出て、働いている ?
ほんの1時間前までは、「うちゅうじん」。 今は、「母」。
狐や狸など、人を騙すと言うけれど、これほど完璧な騙しはあるのだろうか ?
結構、騙されるのも疲れるので、母の奇行は「宇宙人てきな!」に切り替えることにしました。
概ね、月に1度お邪魔する
屋根の上
好天に恵まれ
紅葉とすじ雲
気持ちを切り替えることの
できる場所の一つ。
八月をすぎて、急に母の行動が奇行になり、私の気持ちを切り替えるのに一苦労と、行く末を考えると、母の資産管理をしっかりとしておかなくては、施設入所などと、なった場合、金銭の管理をしっかりとしておく必要があり、今季は、銀行に母と一緒に行き、総合口座に必要な金額を入れ、管理することにしましたが、この時の書類手続きが大変で、もっと早くにしておくべきで、私のミスでした。
まさか、母が、自分の名前まで書けなくなっているとは思いませんでした。
結果として、必要書類➕本人確認➕代筆書類で済み、数時間ほど掛かってしまいましたが、この時は、母は、「うちゅうじん」ではなく、銀行の方々とも会話ができ(本人意思の確認)、安心しました。
当初は、カード発行のつもりでおりましたが、諸事情ためカード発行はせず、必要な経費は、その都度、私が銀行に出向くことになりました。
銀行の話によると、名義人以外の人がカードを使用する、名義人以外による不正カード使用のカード詐欺が多発しており、身元が確定した相続人が窓口において処理し、名義人が、生活に必要と思われる金額の口座使用を認めるようです。
カード名義人以外の人が、出金等の行為をした場合は、詐欺行為となる。注意
口座人の資産を守るために、相続人が確定していることが大切なようです。
母の資産管理は、相続人を代表して、当面管理は、私がやらなくてはならないようです。 取り敢えず、兄妹の相続人と話をしてからです。
ふぅ〜。
大変ですなぁ〜。
おれの相続人はご主人様 ですよ。
(1) 呆け症状の代表
⁂ 食事の時の順番がわからなくなる。
⁂ 入れ歯が正しく装着できなくなる。
母の場合は、入れ歯を使用しているのですが、その装着時に、迷いが発生しており、上下の区別がつかなかったり、前後や裏表の区別もできなくなることが、多々有り、注意していないと、「入れ歯を装着せず食事を始めたり、食べ物を口に入れてから入れ歯を装着しょうとしますよう。結果として、歯肉に炎症を起こす」事もあるので、入れ歯が正しく装着して有ることを確認した後に、食事を提供するようにします。 入れ歯装着確認→食事の提供となります。
母が言うには、「呆けて、入れ歯の上・下、左右、裏表、が分からない! だから困っているそれを、おまえに聞いているのに教えてくれない。」と言うのが、母の言い分。 私は、間違いを確認する都度、なおす用に言葉で言うのですが、それを、母は、「虐めている」と言います。誤りをなおす言葉、これが通じず、母は、言われれば、言われる程、混乱して、かんしゃくを起こし、
「お前も、なって見れば、分かる」と、反論します。
こうなりますと、身振り、手振り、介添え、で直すのですが、気にいらないと、暴言が飛び、乱暴な言葉と同時に、「親をそうやって虐めろ」が始まりますので、ここで少し、間を置き、落ち着かせながら間違いをなおします。
このような事が、食事の度に交わされるので、疲れます。
食事をする提供する時に、このような事がつづくと、ある種の緊張感があり、この緊張しているときに暴言を言われると、売り言葉に買い言葉となる事があるので、冷静に対応するのですが、親子であるが故に罵声が飛ぶ事もしばしば。
母が呆け出してからは、食事提供が、一番問題に成りつつあり、いま一番時間を取られています。
(2) 現実と夢の間に幻を見て、現実と誤認する。
横になって眠ることが多くなった母は、最初は「夢を見ていた」と自分の行動に間違いがあった時は、訂正していたが、途中からは、その区別が無くなり、言動に強みがあり、自分の言っていることを訂正できなくなって、言気も強く、癇癪をおこし、布団にもぐる行動をしてしまいます。
母の行動は、布団にもぐり、すねるだけで、今はすんでいるのですが、これから先は、未知な領域に入ってまいります。
(3) 幼児化する母
病院や美容院に母を連れて行くには、補助する私が注意して、滞在時間や待ち時間を考慮しないと大変な事になります。特に・自分本位の自分中心で行動する母には、思いたったら、その時に行動しないと済まない感があり、少しでも機嫌を損ねると、罵声が飛び介助者は居た堪れない気持ちになります。
病院での待ち時間は、30分おきに自分の番は来ないのか周囲に聞く始末。
挙げ句には、診療室の中まではいっていき、止めるのに一苦労。
順番で皆さん診ていただいているのでと言っても、「俺を忘れている」だから聞きに行くのだと言い張っている。わがまま行動のオンパレードです。
(4) 時間感覚が無くなる母
よく呆けると昼夜が逆転すると、皆様おっしゃいますが、確かに経験しましたが
母は、時間は確認するのですが、実際の時間と今、母がいる時間との区別がつかずに、いることが多くなりました。夜中の12時だと言って教えても、夕方のだとか、まだ8時過ぎだとか。私達が、うたた寝をして、時間感覚がズレた時のような感じ方をしており、納得させて、眠らせるのですが、朝になり、昨夜の行動を覚えているか聞くと、全く記憶になく、困惑している事が多くなりました。
正月過ぎは、特にこのパターンが多発生し、疲労が溜まっていたのか、母をデイサービス送り出したその日、気が付いた時には、午後、母が帰宅する時間、庭に送迎車が到着するまで爆睡していました。
(5) 行動パターンが予期出来ない。
母の行動パターンが、予測できない場合が多々あり、困惑します。
母が食事中に、私が母の身の回りの整理や、洗濯の準備をしている短時間に、母は、全く別の行動をして、思いもよらぬ状態になっていることあります。
ほんの一瞬、眼を離した隙に、食事を終わらせて、私の跡を追ったり、食事を炬燵や、ベッドの中に持ち込んだり、冷蔵庫の中に持ち込み、食事が終わったから、見に来た(手伝いに来た)と言って、全く別の行動をします。
これを信じると、後で洗濯の山になるか、思わぬ時に腐った食べ物を見つけたり、形が無くなった物体を発見する事になりますが、いずれも洗濯の山です。
[犬] で、どうした ?
「犬」 どうやって探すの ?
○ だい部分の場合は、色々な香りで気がつきます。
[犬] 鼻が効くと便利かも ? でも毎回は きついかも。
毎回、いろんな所に鼻を効かせて、嗅ぎまくりますから。
というのが、週一で、母がデイサービスに行っている間に素早く隈なく行ないます。母が、在宅中に行動すると、機嫌を損ねるので。
汚れ物の洗濯は午前10時までに、洗濯をはじめないと、母が帰宅時間までには乾きませんので、多いときには、洗濯機を3回フル回転します。二台でやるのですが、場所が違うので、移動しながらになります。
(1)〜(5)が連日繰り返されるかと思うと、パタット止まる時間や、症状が全く出ない日や時間あるので、私の方が騙されているのではと、勘違いするくらい正常な状態に戻るので面くらいます。
これらが24時間どこで、狂い出すのか全く見当が付きません。
一番疲れるのが、一旦眠りについてからの母の行動です。私も、休む方向に向いているのですが、母が狂い出すと、私の体も活動できる方向に向けるので、時間感覚が狂いだし、体力が思いの外消耗して、夜、母が狂った場合は、次の日の午前中は疲れて何もする気は無くなりますが、母の食事を休むわけにはいきません。
湯沸かしポットに異変、何故か、お茶葉が入っていて、お湯が出ない。
1日の内に2回も、その都度お茶葉を取り除くのだが、母は「誰かがやったと言っている」母いわく「お茶を、何処か違う所に置いてくれ」と言っている。
自分でも、自分の行動が分からなくなって、混乱しているようである。
母との会話で、この頃困るのは、数分前の会話も思い出せず、言った・言わない、のやり取りが多くなり、ストレスが溜まる事です。
「¬うちゅうじん」と暮していると変換するのですが、ストレスが増える。
私の体力保持のために、母の入浴サービスを週一でお願いしているのですが、入浴時に着替えた物を洗濯機に入れ、洗濯が自分で出来たのが10月まで。
10月以降は、洗濯物を入浴ヘルパーさんに洗濯機に入れてもらい私が洗濯をするのですが、母の入浴時は、私の休憩時間として、仮眠を取っているのですが、タイミングがうまく行かないと、汚れた洗濯物を母が、洗濯機から出し、別の部屋に持って行ってしまい、私が洗濯物を探し回る事もあります。
そう言えば、母の目薬をさす、間隔の頻繁さに注意した頃から、呆けが進行していたのだと、思い返しています。
新年を迎えてからは、深夜の奇行があり、午前0時過ぎに活動する母があり、その都度、落ち着かせてベッドにつかせるのですが、私が自室に戻ると母の活動があり、その都度気が付くと、眠らせる努力をするのですが、昼夜逆転している母にとっては、虐めと感じている時と、素直にこちらの言う事を効くときと、マチマチで、翌朝は、大抵、私は疲れ果てて、母に朝食を食べさせると、自分の朝食を忘れて、眠りに落ちてしまうこともあります。週に3回ヘルパーさんを入れて看護態勢を整えていますが、この時間が、いつのまにか私の休息時間になってしまいました。
これからは、母との会話が成立する時間が少しずつ減って行くのが分かっているので、対応策を新たに考えなくてはと感じている2018年の新春です。
突然、壊れる 生活 大暴れの うちゅうじ 来襲
私が外出中に、母家の防寒対策が粉々に、防寒用のビニールカーテンやプチプも無残な姿に。寒気流入遮断のポリ板も被害に、宇宙人は 見事に外しまくりました。 本人曰く、 「誰かがやった。俺は知らん」 「よその人がやった!!」
防寒対策グゥツ、元の姿に戻すのに、1時間以上かかってしまった。
夕方までに、間に合ってよかった。 外は、すでに気温ー5度を表示
治らなかったら、母の部屋もマイナスの世界に なっていただろう。
母の言い訳は、山盛り、母は、家の外に出てみたかったらしい。
母の話から、テレビの内容で外に出たくなったらしいのですが、
母の部屋だけでは物足りずに、母屋の廊下にしておいた防寒対策のカーテンやボードまで、外しまくりました。 人格が入れ替わると ? ? ? です。
○結果として、 痛みが母を襲うのです。
大暴れの翌日から、腰の痛みを訴えるようになり、動くことが、辛いと言っているが、人格が入れ替わると、簡単に動き回るのに ? ?
心配で、病院に連れて行く。この時には家の中での異動も、車いすを使用。
何年か前に、使用し、しばらく眠っていたのですが、タイヤに空気を入れ生き返り、母屋の室内移動に使用しました。病院に行くと、痛いのか妙に静かです。
長時間の診察順番待ちも、トイレ以外に暴言を吐く事もなく静かにしています。
診察順番が来て、即行で入院決定。 医師の話を聞き、精密検査をして、痛みの原因をハッキリと確認して、治療を始めましょう。X線写真では、圧迫骨折があるようなので、安静にして、体位管理を行い、痛みを和らげながら、治療しましょうとなりました。入院は、覚悟していたのですが、本人は痛みのため、説明されても分からなかったみたいで、母が、病室で落ち着いたところ、一旦自宅に帰り入院の用意をして戻ってきたならば、「何で、勝手に入院させた」「俺は聞いてない」「そうやっていじめろ!!」 と病室で騒ぐ母の声 !!
説明をしてくれていた看護師さん ? ? ? ? 回診に見えた 医師も ? ? ? ?
余りの、変わりように 皆さんドン引き !!!!!
前もって、スタッフの皆さん医師には、説明しておいたのですが、
これほど変わる 目が点に 。_ 。||
急に暴れると困るので、ベッドから動き出すとアラームセンサーを付けて監視できるようにお願いしました。 翌朝見に行くと、眠っており、夕方見に行くと
腰が痛いと訴えたので、入院して、ここで治すことになったと説明して、病室を後にしました。入院後は、毎日様子を見に行くのと、洗濯物の回収で病室を訪ねるのですが、そこには、うちゅうじん の母と正常な母が交互におり、看護師さんの話からすると、大人しくしていますよと言う言葉と、ベッドで急に立ち上がったり、元気ですよ。?
圧迫骨折で痛いはずなのに、どうして、足元不安定なベッドの上で立ち上がれるのだろう ? 相当のバランス感覚が良いとしか言いようがありません。 ?
なにせ、うちゅうじん に変身していると、痛みの感覚が無く、行動できてしまい、思わぬことをいとも簡単にしてしまい驚きます。(研究課題になるかも)
入院2週間目を過ぎたところで、担当医の説明とこれからの治療と、退院後の生活について、希望を聞かれたが、医師の説明では、今までのように家での生活は更なる骨折の危険が伴い、私一人の看護体制では無理があるので、介護施設等の利用を検討されてはいかがですかと、説明がありました。
(安静時に うちゅうじん に変身 センサー等をはずしまくりが、あり)
私の体力と持病、退院後の母の介護を比較すると、どうも、私の体力が無くなり、窮地に陥る姿が、目の前にチラつく。
いつかは、選択しなくてはならないと、覚悟はしていたけれど、もう少し、先だと考えていた私が甘かったようです。母の痴呆症状はかなり進行しており、自宅での介護には限界があるとの担当医の助言でした。
もう少し、様子を見て、リハビリ棟へ移り、体力の回復と歩行訓練を行い、歩行機や杖を使い移動ができるようになってから、退院を考えましょうとなりました。
平成30年 春の激闘になりました。
PS 昨年の春から、我が家の介護日誌のUPが停まっていたのは、書き続けていた原稿を、UPしたつもりで、約1年間気付かず、今回、気づき慌ててUPしました。