HOME > 介護日誌 > 我が家の介護日誌 第24章

我が家の介護日誌 P-24

浅川太陽光発電所
所長 浅川 初男

介護施設を利用することができるようになって、私の負担が減ったと思っていたならば、当たり前だけど、料金負担が増えた。
母の帰宅に備えて、春の準備をしていたのだが、今年の春は、春から夏に一気になってしまった。八ヶ岳南麓の高原の我が家で、4月に外気温が20度を超えた。
私が覚えている限りでは、我が家で、4月中旬で20度を超えた記憶がない。


我が家の周りでは、桜と、シャクナゲが、一緒に咲いたり、と、春と夏の季節の花が、大変なことに。農業面では、5月の連休に合わせて、出荷予定で育てていた野菜が、高温のために育ちすぎて、連休前に出荷時期になり、連休前半に野菜が足りなくなったと、野菜販売店から連絡があり、急遽、我が家の畑から葉物野菜を提供。野菜づくりを本業にしている農家さえ、驚く、4月の高温。


この高温で、母の体調もショートステイから帰宅して、準備していた歩行器で


こちらは、前回まで使用していた
歩行器の写真ですが、
今回は、もう少し
小型の物を
リースいたしました。


歩行器で活動が活発になり、運動不足からの脚のむくみも、1週間で治り、心配したが、我が家の廊下を歩行器で歩く程度で解消できた。そうこうしているうちに、木々の花が咲き初夏のように。

白く咲き誇る 山 梨の花 ? かな ?
連休明けから、母には、農作業のために、ショートステイに行ってもらった。
今度は、短い2週間。母が入所した日から、急激に気温が下がり、明け方には0度以下に、家にいたならば、母の部屋の温度管理で農作業どころではなかった
だろうと、母の体調を考えると、今回の、入所は正解であったと思った。
激変の気候で、1日の温度差が20度以上、母が帰宅する月末には、気候は安定するだろうか、2週間があっという間に過ぎ、母帰宅、今回も、母の脚が、浮腫んでいる。家の中を歩き回れば? と思っていたならば、3日ほどで、元の脚の太さに。見るたびに細くなっている母の足。(まだ、暖房使用)
帰宅した母の食事は、あいかわらずの ワンプレート を用意。



丁度、帰宅時には、ワラビの卵とじ、季節は初夏 ハチクの煮付け。
こんな感じで、三食、色どり中心で食事を作っています。
母は、自分の気に入った物は、食べるが、気に入らないものは、食器の横に避けたり、色々なところに隠したりで、大概、臭いや、食器の数で、無確認しますが、何かの間に挟まれると、悪臭とともに発見することが、多々あり、家の中で大捜査です。6月になり、母の行動に変化があり、今までのように食事を全部食べる事がなくなり、残す事が多くなってきた。それとともに、横になり、眠る事が多くなって、1日のほとんどを横になって過ごす事が多くなるとともに、呆けが酷くなった。
朝、朝食を準備してゆくと、寝ていたので、起こすと、「大きな声で起こすな」
しばらく横になったまま、動く気配なし、ここで起こすと機嫌を損ねるので、
30分経って声をかけると、いつからそこに居た、飯はまだかと言っている。
やっとこ起きて、温めたタオルで顔を拭って、炬燵の定位置へ。
すると、コタツが暖かくない!! 慌てて、スイッチをONにする。
部屋は暖かいのに、母的には、寒いそうだ。
食事の定位置についたなら、入れ歯を入れないで、食事を取ろうとするで、入歯を探したなら、入れ物に無い。ベッドの中に転がっていた。
なぜ、ベッドにあったのか聞くと、「あの入れ歯は、よその人の入れ歯」で、母のではないと言い張る。なんとか宥めて、入れ歯を入れて、食事をとらせる。
なぜか、口いっぱいにほう張り、食事が進まない。少しずつ、ゆっくり食べるように言うと、「うるさいおれの自由にさせろ!!」というので、ここで引き下がる。
少しして、喉につかえたら困るから、少しづつ食べるように声をかける。
「わかった」と返事があったので、ゆっくり食べてと、言って母の部屋から台所のようすを見に行ったなら、この間1分で、食事のプレートが無くなっている。
ベッドの下に置いてあり、「もう食べれない」 と言っている。もう少し食べて、薬を飲まなくては、体に悪いので、もう少し、食べて、そしたら薬が飲みやすくなるからと宥めて、食事を済まさせる。食べる量が減ってきた。
副菜は何とか、食べるが、ご飯の量が極端に減ってきているので、何とか考える。
こんな感じで、朝食時間が一挙に、1時間半くらいかかるようになってきた。
たまには、こんな食事をお昼に作り、半分は母へ。


不思議と
麺類は好きなようなので
この日は、残さず、ご飯と半々で、ともに
食べてくれました。
それでも、食事の量としては少なくなってきた。(昼食時にはヘルパー利用)




この頃、横になって寝ている事が多くなるのと、相違して、母との会話が全く噛み合わない日々が続いている。しかし、たまに訪ねてきた親戚と話をしている時は、全くの普通会話をしている。親戚いわく「全然普通じゃん」「心配したほどでは無いじゃん」と帰られて行く。親戚が帰ってしばらくして、母に尋ねると
誰か来たけど、誰だったかな 思い出せないと言っている。
心配して、ケアマネさんも訪ねてくれたけど、ご近所さんと間違えている。
前より、私に向かって、色々やらなくなったから、間違えボケくらいなら
「ま、いいか」 です。

そんなに甘くない、母の行動。
日中も寝ている事が多くなり、行動も緩慢になって来ていたので、安心していたならば、やってくれました!!ファションショー ♡
朝、母の様子を見に行ったなら、冬物が、いたるところに、出してある。
昨夜は、0時と2時に見回ったけれど、母は寝ていた。
2時から6時の間に、開ける事の出来ないはずのタンスや衣装箱から
引っ張り出された衣類が散乱。 母は、ぐっすり寝ている。
朝食の時間に、起こしても起きない。 明け方、これだけの仕事をしたのだから仕方ないか。結局、私が後始末、気が付けば昼食のじかん。
ひさびさに、やってくれましたが、ヨロヨロ歩きの母の、どこにこんな力があったのかと、驚かされた半日でした。
後で、聞き取ると、「葬式の手伝いに行くので支度を探した」「餅つきをするので支度をした」「出掛けるので支度を探した」「けど、うまく探せなかった」
と母が言っていた。「そんなことはしていない」「誰かがやったのだ」とも言っていた母でした。何れにしても、規模が小さくなっていた。
母の休眠
母が、丸一日以上横になり、眠ったままでいる。朝食はなんとか食べたのだけど
ヘルパーさんが来ても、眠っている。多少運動はしたようだが、昼食もとらずに
声をかけても、返事はするが眠っている。入浴サービスは、何とかなったようだが、すぐに寝てしまった。夕食時に声をかけたが、「うるさい」と返された。
仕方なく、夕食を置いて、いつでも食べられるようにして、様子を見る。
1〜2時間おきに、様子を見たが、午前2時以降は私も睡眠をとったが、食事は朝食の時間になるまで、手を付けていなかった。寝たままの状態が2日半に
なったので、朝食の時間である事を知らせて、起こして見ると、目を覚ました。
母曰く、「夢を見ていた」でした。丸二日夢を見見ていた事になる。
起こしたこの日は、朝食、昼食、夕食と1日順調に過ごした。
次の朝、母のもとに行くと、枕元に水の入ったバケツが置いてあり、母が起きていたので、尋ねたら、「誰かがやった、私は知らない」と言っている。
後片づけをして、朝食をとらせたが、何か見当違いの話をしてする。
何とか、食事をとらせるために用意した桃の入れ物が気になるのか、食事よりも桃に手をかけたので、ご飯を食べ終わってから食べるように仕向けて、やっとこ食事が終わった。用意した桃は、しっかりと食べる母である。
友人が母のために融通してくれた、初物の桃、わかっているか、話はしてあるがそんな事は関係ない、母が今朝の母である。


母の半尻問題
母が、お尻を半分出した状態で、家の中をウロウロ !!
どうして、そうなったかと言うと、手の筋力の低下と圧迫骨折で背中が
丸くなってしまった事と、呆けからきているようである。
圧迫骨折をする前までは、腰は曲がっていたが、お尻を半分出した状態で

家のなかを歩き回ることはなかった。背骨の圧迫骨折をしてからは、特にお尻を出していることが、多くなった。トイレの後は、確認するのですが、いつもついているわけではないので、母のようすを見に行くと、反尻でいることが多くなった。本人はパジャマやズボンを履いているつもりなのだが、困ったことは、現在は、リハビリパンツを使用しているのだが、これも、半尻で、パジャマのズボンの上に履くので、お尻がアヒルのお尻に!! なっている、気がついて直すのだが、このような場合には、リハビリパンツも汚れていることが多くなった。
本人は、あまり気にしていないようなので、大きな無問題はないが、歩くときに下がっているリハビリパンツが歩行の妨げになる危険があるので、いつも注意していなくてはならない。母がいつまで、自力で下着の上げ下げができるのだろうか ? 心配になってきているこの頃である。
母が、動けなくなっていた時に、リハビリパンツが嫌で、すぐに脱いで、部屋の中に散らばしたことが、あの光景が思い出されて、・・・・・・・・
今は、何とかなるかなで、なって見なければ分からない !!

です。


と、書いているやさきから、やらかしてくれた。
母の悪戯を片付けていたら、廊下を挟んだ客間から芳しい香りが漂う〜。
廊下が水びたし、本人は、洗濯物を干したのだが、水を絞ることができずに、あわてて、バケツや手桶を並べて、何とかしのいだつもり?
夜だったので、危うく滑って転ぶところだった。母でなくてよかった。
さて、芳しい香りの源は、臭いを頼りにたどると、洗濯物の中に使用済みのリハビリパンツが、隠れていた。私が用意したリハビリパンツでない物が、2組。
芳しい香りを客間に放っていた。夜な夜な汚れ物の洗濯と、廊下の掃除。
不思議なものである、これを片付けた後、いつの間にか夕食を摂っている私がいる。




暖かくなってきたので
庭先で収穫できる
野菜を中心に
母の食事を組み立ててみた。
ナス、ズッキーニ、レタス。
りんご、野菜コロッケ
卵焼き、磯辺揚げ、素麺、
ご飯、たくあん、赤カブの漬物
野菜中心に、アッ、餃子を忘れてた。 現在の気温24度。標高950m午前10時
夏野菜中心メニューの紹介でした。


最近の母は、1日を眠っていることが多くなった。
逆に言うと、眠って過ごすことがあたり前で、起きている時は、悪戯の時間と、食事の時間くらいになってきた。暑さが増してきたならば、いつもよりも昼は寝て、涼しい深夜や、明け方、私が深い眠りについている時間の行動が多くなって、母を見守ることが難しくなって来ている。台風の風の中、深夜家から出ようとして、家中の電灯を点けて、鍵を明けて外に出る努力をした後が、朝になって明かりが点いている事で、確認できたり、夜勤明けの住人から早朝から、何をしていたのですかと、地区会議の時にそっと尋ねられたり、介護ですと答えると、大変ですねと、声をかけていただいたり、深夜明け方と、活動する母と、日中は眠ろうとする母の行動が、現状よりあまり激しくなるのであれば、考えなくては。
家の中で、ベッドに横になっている母に、ここがどこかと尋ねると「どこかわからない」と答える母。

つづく